合戦の裏で繰り返される略奪と、それに対抗しようとする荘園管理人の悲痛な叫び――。平安末期の源平合戦における凄惨な地方情勢を生々しく記した大量の古文書が、大阪市の寺院が所蔵する重要文化財の仏像内部から発見された。中には、平家を追って入京した源義仲(木曽義仲)の軍勢による狼藉を八条院に訴え出る書状も含まれており、歴史の教科書には描かれない戦乱の影のリアルな実態を現代に突きつけている。
この発見は、大阪市の大通寺が所蔵し、神奈川県立金沢文庫に寄託されている「木造阿弥陀如来立像」の像内調査で明らかになった。仏像修復などの過程で行われた東京大学史料編纂所のグループによる調査により、像内に納められていた八十一通の書状の全容が判明した。これらの多くは、平安時代末期の貴族・藤原実清(1139〜1185)が自筆で書いた手紙である「仮名消息」であり、実清の没後、彼と親しかった人々が追善供養のためにゆかりの書状を集め、印仏を押して像内に納めたとみられる。
特に注目されるのは、古文書の中に含まれる「隆政書状」である。この書状は、鳥羽天皇の皇女である八条院の荘園「摂津国利倉荘」(現在の大阪府豊中市周辺)の現地管理人だった隆政が、本家である八条院に向けて書き送ったものだ。当時、平家を追い落として京都に侵攻した木曽義仲(源義仲)や源行家の軍勢が、周囲の荘園で乱暴や強奪を繰り返しており、その暴挙を速やかに制止するよう八条院から働きかけてほしいという、切迫した救援要請が記されている。
書状の中では、義仲が当時の官職名である「左馬頭」という呼称で直接的に指し示されており、彼らの軍勢が現地で引き起こした具体的な混乱が生々しく活写されている。義仲は平家を打ち破った英雄として知られる一方、京都に入ったのちは軍勢の規律の乱れにより治安を悪化させ、後白河法皇や貴族らの反発を招いたとされる。今回の史料は、そうした中央の政治的記録だけでなく、被害を受けた地方の荘園の当事者による「生の声」として、治安悪化の動かぬ証拠を示すものである。
東京大学史料編纂所のグループは、「これほど古い時代の自筆消息が、一人の人物の周辺からまとまって見つかる例は全国的にも極めて珍しい。戦乱期における荘園社会の実態解明に向けた画期的な史料となる」と、その歴史的重要性を強調している。歴史の闇に埋もれていた武将たちの足跡と人々の葛藤は、八百年の時を超えて、再び日本の歴史研究に新な光を投げかけている。