世界最大級の自動車メーカーへとトヨタ自動車を急成長させ、日本の財界を牽引した元社長・元会長の奥田碩氏が8月8日、93歳で亡くなった。28年ぶりとなる非創業家出身の社長として就任し、「即断即決」の強烈なリーダーシップで世界展開やハイブリッド車プリウスの量産を果敢に推し進めた稀代の経営者だった。
奥田氏は1932年、三重県に生れた。1955年に一橋大学を卒業後、トヨタ自動車販売に入社。海外事業で頭角を現し、1995年に社長に就任した。奥田氏は、バブル崩壊後の停滞する国内市場や世界規模の競争のなか、変革を断行。1997年には世界初の量産ハイブリッド乗用車であるプリウスを発売し、「21世紀に間に合いました」というキャッチコピーとともに自動車産業の環境対応を先導した。
さらに、1999年には会長に就任し、2002年から2006年まで日本経済団体連合会(経団連)の会長を務めた。小泉政権下では経済財政諮問会議の民間議員として構造改革を推進。トヨタをグローバル企業へと飛躍させるとともに、日本経済の構造転換にも多大な影響を与えた。
晩年まで日本の産業界の行方を見守り続けた奥田氏の訃報に対し、経済界からはその功績を称え、死を悼む声が相次いでいる。